例えば「ディベート」では反論の機会が保証されるので、相手がおかしなことを言っていたとしても、それに口を挟む必要はなく、後ほど巡ってくる発言機会の中で、如何にその発言がおかしいかを証明すればいい。つまり瞬発力があまり必要ではなく、相手の発言の内容を検討する分析力の方が大事。
しかし「朝まで生テレビ」は「公開口喧嘩」なので、反論の機会が保証されない。田原総一朗氏のさじ加減ひとつ。なので、おかしな発言に対するリアクションの早さと大きさが必要になる。瞬発力と声の大きさが重要。分析力は二の次で、何も言えずにまごまごしているよりは、おかしなことでも声が大きく言い切ってしまう方が強い。
また、相手に対する誹謗中傷、人格攻撃は、「朝まで生テレビ」では非常に有効で、それで怒った場合には、怒った場面がオンエアされることで、その怒った人間の評判を下げることができる。怒らない場合でも、そのことによって発言意欲が低下すれば、自分の発言機会が増える。口喧嘩は発言こそが攻撃なわけだから、人の発言機会を奪えば、自分が守る機会を減らせるし、自分が攻撃できる機会を増やせる。どっちになってもメリットがある。
しかしディベートでは、これは単なる反紳士的行為。マナー違反。プラスはなにひとつありませんし、そういうことを行う者は侮蔑の対象になります。最低のディベーターですね。人と論を切り分けられない者にはディベートはできません。
このように「ディベート」と「朝まで生テレビ」は似て非なるものなわけですよ。
「朝まで生テレビ」は「ディベート」ではありません - タケルンバ卿日記 (via mcsgsym) (via gkojay) (via mcsgsym)